◆森山日出夫

プルサダ

PPI活動の発展のために(書類あり)

国際交流会館祭り

少なくとも、留学生の名前と顔は私の頭の中にあると自信がありました。それは1980年5月九州大学に運用定員で留学生担当の講師職に私が任命された初めの頃の話。しかし、2022年3月ヨギ君が20年ぶりに愛咲美保育園を訪ねるのに同行しようと、その親の名前と顔が出てこない。

慌てて昔の資料を探していたら国際協力ニュース2008年4月号の正会員団体インタビュー第20回の記事があった。

 

1996年に留学生たちが自主的に毎月1000円出しあった奨学金活動を始めた、97,98年のアジア経済・通貨危機によって家計を支えるために働かざるを得なくなった子供が増え、2003年にインドネシアでは小中学校を中途退学せざるを得ない子供たちが1450万人に達した。2001年にインドネシアの著名な舞踊家を日本に呼ぶ企画そのもの主体は広島大学に在学中のインドネシア留学生が中心であったのではないかと思う。もうその名前さえ忘れてし合ったが日本が第2次世界大戦で敗れた後もインドネシアの独義勇軍の一員として戦った飯塚出身の方。

実はもっと身近に農学部の2年後輩でジャカルタで有名な日本食品スーパーのコスモを運営するスジャルオ・スカルジョ夫妻は大学院生の頃机を並べていたし、その結婚話をハラハラしてみていた。

いろんな人たちの思いが、複雑に絡み合いながらインドネシアの子供の教育を救う会を立ち上げた弥栄睦子さんたちがいた。

2008年4月の舞鶴公園でインドネシア留学生協会が主催した満開のお花見の写真の本物が見つかったら、大畑さんの記憶がすごいから、もっともっとみんなの心がつながるに違いない。